公開することを躊躇う記事
本当は、既に出来ている記事がある
検査結果が出た時の記事。
私の担当になった女医。
その人の言葉で傷付いて、こんなにもなんでもかんでもハラスメントといわれる時代に
ドクハラなんてあるんだなって思った。
ショック過ぎて涙も出なかった。
最初は良いように取ろうとしたけど、無理だった。
周りに話すと酷すぎると…
自分が間違ってるのか正しいのか、それすらわからなくなってしまった。
その記事には一字一句女医に言われた言葉が書いてある
今はもう関わらなくて済んでいるので恨み言にしかならない
忘れてしまいたい出来事の方が何故こんなにも鮮明に覚えているのか…
ただ、あんな人がレジデントを従え、講義をし沢山の患者さんを抱えていることに恐怖すら感じる。
私にとって嫌な人が他の人から見たら良い人かも知れない
私にとって良い人が他の人から見たら嫌な人かもしれない
思うのは言葉のあやではなく、言って良いことと悪い事を弁えない医者など医者であるべきではないと思う。
ましてや病気で精神的に弱っている人に対して
医者の一言で救われる人が居るのも事実なのだ。
例えどんなに賢くても、例えどんなに腕が立つとしても、そんな人に自分の命は預けたくない。
優しさだけでは医療は成り立たないのも理解している。
ただ優しさや思いやり、それをなくしたら人は人で無くなってしまうと思う。
医者も、医者である前に人間なのだから。